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東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)55号 判決

原告 ホシ産業株式会社

被告 東京法務局供託官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告

被告が原告の昭和五三年九月一二日付弁済供託申請に対して同月二九日付でした却下処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五三年九月一二日東京法務局に対して次のとおり記載した供託書を提出して賃料の弁済供託申請(以下「本件申請」という。)をした。

(一) 供託者 原告

(二) 被供託者 訴外山邑酒造株式会社

(三) 供託金額 四九九万六四五〇円

(四) 供託の原因たる事実

(1) 契約の内容

(ア) 賃借の目的物

中央区日本橋二―一―六所在

家屋番号 同町一番六の一

鉄筋コンクリート造陸屋根塔屋地下一階付四階建事務所のうち、一階部分六一・五八坪、二階部分一室(専用階段付)五坪、二階部分事務室七坪

(イ) 賃料 一か月五一万五〇〇〇円

但し、別に賃貸人が定める一か月ごとの付加使用料を賃料とともに支払う約定があり、供託金額には昭和五三年三月分から同年八月分までの付加使用料一九〇万六四五〇円を含む。

(ウ) 支払日 毎月末日まで

(エ) 支払場所 供託者住所

(2) 供託する賃料

昭和五三年四月分から同年九月分まで

(3) 供託の事由

昭和五三年九月九日提供したが受領を拒否された。

2  ところが、被告は、本件申請に対して、原告が昭和五三年九月九日前記山邑酒造株式会社に対してした弁済の提供は、賃料の各弁済期から右提供日までの遅延損害金を含んでいないため債務の本旨に従つた提供とはいえないから、供託原因が存しないとして、同月二九日付で却下処分(以下「本件処分」という。)を行つた。原告は、本件処分について、同年一一月二〇日東京法務局長に対し審査請求をしたが、昭和五四年三月二日同請求を棄却する旨の裁決書の交付を受けた。

3  しかしながら、本件処分には供託官に認められている審査権限を逸脱した違法がある。

(一) 供託法及び供託規則は、供託官の実体的審査権限についてなんら規定していないのであるから、供託官の審査対象は、供託書の様式の遵守及び必要的記載事項の記載の有無並びに添付書類の具備の点に限られており、供託原因の存否のような供託の実体法上の要件については審査権限を有していないものというべきである。

(二) 仮に、供託官が供託原因の存否について審査権限を有するとしても、供託に関しては大量の事務を迅速かつ能率的に処理することが要請されており、また、審査方法が簡易な書面審査に限定されていることにかんがみると、供託原因の形式的存否を審査することができるにとどまり、当該供託原因が実体法上有効に成立しているか否かという点にまで供託官の審査権限が及ぶものではなく、このような微妙な法的価値判断を要する問題は裁判所の公権的判断に委ねるべきである。したがつて、債権者の受領拒絶(民法四九四条)が供託原因となつている本件の場合、供託官は、債権者の受領拒絶の存否のみを書面によつて審査すれば足り、それ以上に実体法上有効な債務の本旨に従つた提供があつたか否かについてまで審査をすることは許されないものというべきである。

本件のように弁済提供額に遅延損害金が含まれていないからといつて、直ちに実体法上有効な債務の本旨に従つた提供がなかつたことになるものではなく、その提供の効力は、債務の内容、提供金額等あらゆる事情を総合的に考慮して判断すべきことであり、提供額の不足が僅少な場合には有効な提供と評価される余地もあることは一般的に認められているところである。このように実体法上有効か無効かの判断が困難かつ微妙な弁済の提供についてまで供託官の審査権限が及ぶとなると、裁判所において最終的には有効と判断される可能性がある供託を供託官かぎりの判断で否定してしまうことになり、供託制度上不合理なことは明らかである。それゆえ、供託官は、債権者の受領拒絶の事実が認められる以上、提供の有効、無効を判断することなく供託を受理すべきであり、ただ提供の無効であることが書面上明白で疑問の余地のない場合に限り例外的に却下することができるにすぎないという取扱いをすべきである。

よつて、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1、2の事実は認めるが、同3の主張は争う。

2  供託官は、供託申請についてその実体的要件及び手続的要件のいずれについても審査をすることができ、弁済供託に関していえば、民法四九四条の定める供託原因の存否についても審査権限を有しているものであるが、これらの要件の存否を判断するに当たつての審査方法は、供託事務の性質上、供託書及び添付書類のみによるいわゆる形式的審査に限られている。

ところで、本件供託書の記載によれば、賃料及び付加使用料の支払日が毎月末日までであるにもかかわらず、原告は、昭和五三年九月九日になつて賃貸人(被供託者)訴外山邑酒造株式会社に対し、同年四月分から同年九月分までの六か月分の賃料及び同年三月分から同年八月分までの付加使用料の各元本のみを提供したことが明らかである。すなわち、原告は、履行遅滞に陥つていたことが明らかであつて、元本だけではなく提供日までの遅延損害金をも合わせて提供するのでなければ債務の本旨に従つた弁済の提供をしたことにはならないにもかかわらず、右遅延損害金の提供をしなかつたものである。したがつて、原告は、有効な弁済の提供を行つたとはいえず、たとえその受領を拒絶されたとしても供託をすることができないから、本件申請は民法四九四条に定める供託原因を欠いていることが書面上明白であり、これを却下した本件処分は適法である。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、債権者の受領拒絶を原因とする弁済供託が申請された場合に、受領拒絶の前提として有効な弁済の提供がなされたか否かを供託官において審査する権限の有無について検討する。

1  供託法(以下「法」という。)及び供託規則(以下「規則」という。)によれば、供託所に供託をしようとする者は、法務大臣が定めた書式による供託書を提出して申請するものとし(法二条)、供託書には、供託者及び被供託者の氏名及び住所(被供託者については特定できるとき)、供託金額などのほか、供託の原因たる事実、供託を義務付け又は許容した法令の条項をも記載しなければならず(規則一三条二項)、また、所定の書面を添付することが必要である(規則一四条ないし一七条)。そして、供託官は、供託を受理すべきものと認めるときはこれを受理し(規則一八条一項)、受理すべきでないと認めるときは却下しなければならない(規則三八条)。このように、法及び規則は、供託官に対し供託を受理すべきか否かを審査、決定する権限を付与しているが、この審査の対象となるべき事項については特に制限する規定が設けられていないうえ、実体上無効な供託が行われ無用な混乱を生ずることは可及的に防止すべきものであるから、供託官は、供託書の適式性及び所定の添付書類の存否等のいわゆる手続的要件のみにとどまらず、前記のとおり供託書に記載されるべき供託の原因たる事実や供託を義務付け又は許容した法令の条項などからみて、当該供託が実体法上有効なものであるか否かという実体的要件についても審査する権限を有するものというべきである。

ただ、その審査の方法については、法及び規則が一定の供託書及び添付書類の提出についてのみ規定していることにかんがみ、また、供託事務の簡易、迅速かつ画一的処理を図ろうとする供託制度の趣旨に照らし、供託官は供託書及び添付書類のみに基づいていわゆる形式的審査をなし得るにとどまるものと解される。

2  ところで、債務者の受領拒絶を原因とする弁済供託が有効であるためには、債務者が債務の本旨に従つた弁済の提供をしたにもかかわらずその受領を拒絶されたことが必要である。そして、金銭債務の弁済の提供は、特別の事情のないかぎり、履行期の到来した債務の全額及び履行期を徒過した場合においては提供日までの遅延損害金をも含めて提供するのでなければ債務の本旨に従つたものといえないことはいうまでもない。したがつて、受領拒絶を原因とする弁済供託の申請がなされた場合に、供託官が前記の書面審査方式によるいわゆる形式的審査によつて有効な弁済の提供がなされていないと認めたときは、供託の実体的要件の一つを欠くものとして、当該供託申請を却下することができるものというべきである。

原告は、供託官は債権者の受領拒絶の事実の存否についてのみ審査できるのであり、その前提たる弁済の提供に僅少な不足があつて、それが有効な弁済の提供といえるか否かといつた問題については、供託官の審査権限は及ばない旨主張する。たしかに、弁済の提供に関しては、特にいわゆる一部提供の場合にその効力の判断が極めて微妙かつ困難なことがあり得るが、このような判断の難しさは他の供託原因、例えば弁済者の過失なくして債権者を確知することができない場合(民法四九四条後段)に当たるか否かの認定などについても考えられるのであるし、また、供託官が弁済提供の効力を判断するとしても、前記のとおり専ら提出書類のみによつてこれをなすべく、当該提供の効力の最終的確定は債権者、債務者間の民事訴訟においてなされるものであることを考慮すると、弁済提供の効力について判断の困難な場合があるからといつて、供託受理の関係においておよそ弁済の提供に関する供託官の審査権限を一切否定し、その効力の有無不明のまま弁済供託を受理すべきであるとする合理的根拠は、供託制度の信用保持のうえからも、ないといわなければならない。供託官は大量の事務を簡易、迅速かつ画一的に処理すべきことが要請され、その審査も前記の形式的審査にとどめられていること、更に、いわゆる一部提供は原則として無効とされていることからすると、一部提供の受領拒絶を原因とする弁済供託が申請された場合、供託官としては、当該一部提供の効力につき権利義務の最終的確定機関たる裁判所と同程度の高度の法的判断を必要とされるわけではなく、その提供に債権者の承諾がある等一部のみの提供を例外的に有効とすべきことが提出書類上明白であるような場合を除き、原則として、有効な弁済の提供を欠くものとして当該供託を受理しないことができるものと解するのが相当である。

もつとも、このように考えると、債権者、債務者間の民事訴訟において最終的には有効とされる可能性のある供託を供託受理の段階で封じてしまうことが起こり得ることは免れない。しかし、供託が却下されたために債務消滅の効果は発生しないとしても、債権者、債務者間の訴訟において当該一部提供が債務の本旨に従つたものであつたと認められる以上は、債務者は、その提供の時から不履行によつて生ずべき一切の責任を免れることができるのである(民法四九二条)から、本来全部提供をすべきであつた債務者としては、右供託の却下により実質的に格別の重大な不利益を受けることになるものではなく、前記の結果は供託制度上のやむを得ない制約というべきである。

原告の前記主張は採用することができない。

三  本件をみると、当事者間に争いのない供託書の記載によれば、本件申請は、賃貸人(被供託者)訴外山邑酒造株式会社から建物の一部を月額賃料五一万五〇〇〇円及び右賃料とは別に賃貸人が定める一か月ごとの付加使用料を毎月末日までに支払うとの約定で賃借していた原告が、昭和五三年九月九日右賃貸人に対して同年四月分から同年九月分までの六か月分の賃料と同年三月分から同年八月分までの付加使用料一九〇万六四五〇円との合計額四九九万六四五〇円を提供したところ、受領を拒絶されたので、民法四九四条の規定に基づき右四九九万六四五〇円を供託するというのである。そうすると、原告は、右の同年四月分から同年八月分までの五か月分の賃料及び同年三月分から同年八月分までの六か月分の付加使用料の支払債務につき履行遅滞に陥つていたことが明らかであり、右賃料及び付加使用料の各元本だけではなく、これに対する提供日の同年九月九日までの遅延損害金をも含めて提供するのでなければ、特別の事情のないかぎり、債務の本旨に従つた提供をしたことにはならないものである。しかるに、原告が提供した前記四九九万六四五〇円のなかに右に述べた遅延損害金が含まれていないことは、計算上明白であり、また、成立に争いのない乙第一号証及び弁論の全趣旨によれば、原告が供託所に提出した供託書及び添付書類には、法定の遅延損害金を含まない賃料及び付加使用料のみの提供が例外的に有効であると認め得るような事情が全く記載されていないことは明らかである。

そうすると、被告供託官が、供託書等所定の書面から、原告の遅延損害金を含まない提供を無効なものと判断し、本件弁済供託は有効な弁済の提供に対する受領拒絶という供託原因を欠くとしてこれを却下した本件処分には、原告主張の違法はないものというほかなく、その取消しを求める原告の請求は理由がない。

四  よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤繁 泉徳治 菊池洋一)

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